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平成の『自転車百哩大競走』 


前回の記事、自転車百哩大競走の続きの話になります。
前の記事をご覧になってない方は、
コチラからご覧ください⇒『秋田で最初の自転車レース!?』

やぁ??、すごいですね!明治時代の人って・・・
私は昨年あの記事を見つけたんですが、とても感動しました。
そして、なぜかウズウズしたんです。

あの当時の自転車と今私達の乗っている自転車では、性能が格段に違います。
当時の自転車を調べると、

ピアス号(1901?1911)明治33年から現在の丸石の前身である石川商会によってアメリカから輸入された。この頃自転車競走が盛んで、優勝した選手が乗っていた自転車はよく売れた。しかし1台が月給の20倍ほどの値段であったので、上流階級の資産家だけが持つことができ、自転車は当時の彼らのステータスシンボルでもあった。
明治時代の自転車系譜


写真をみると変速はついてないですね。ブレーキもついてないのでギアはピストのような
固定か、コースターブレーキ(この時代あったかは分からないけど)ですかね?
上りも大変だったろうけど下りも大変だったでしょうね。長距離向きではありません。
でも、見た感じは今若者の間で流行っている街乗りピストそのものですよ。
私は細いフレームが大好きなんで今この自転車乗っててもカッコイイと思います。
100年前から今の自転車の原型は確立されていたんですね。

そして、図書館へ行って当時の新聞も調べてみました。
(上の画像は前回の記事にもあった大会の募集広告です。)
(上の画像は大会後の記事。内容は前回のブログの内容と同じ。)

ありましたよ。新聞はマイクロフィルムで保存されていましたけど、
その当時からサキガケ新聞があったのもスゴイですね。

で、今度は当時のコースなんですが、地図をみるとこんな感じです。
大体は現在の国道と同じ感じです。
秋田市--- 国道7号線--- 由利本荘市
由利本荘市--- 国道107号線--- 横手市
横手市--- 国道13号--- 秋田市
現在はバイパスやトンネルが出来て、多少形状の違うところもあるとは思いますけど。

さて、どうしていろいろ調べたかというとですね。
最初にこの自転車百哩大競走の話を聞いてウズウズしたと言いましたが、

『当時のスタート地点の建物もそのまま残っている。』
『当時のコースもほぼ現在の国道と同じルート』

ときたら・・・ ヤルしかないでしょう!!

どうしても明治時代の人に挑戦したくなったんです。
私の非力な脚力だと当時1位でゴールした午後3時4分で帰ってこれるのか、
はたして完走さえ出来るのか・・・

そこで、どうせヤルなら107年前と同じ日に、同じ場所から、
同じ時間にスタートしてみようと思います。

平成の『自転車百哩大競走』を・・・1人で行います。(笑)

9月21日(火)は祝日です。
1人で挑戦するつもりでいますが、他に走りたい人がいればどなたでも歓迎です。
(但し、交通量の多い道路を走りますので自己責任で走れる方)
9月までは日にちがありますので、実行日の2ヶ月くらい前に改めて告知します。

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秋田で最初の自転車レース!? 


前回の記事、センチュリーランの続きネタです。

センチュリーとは100マイル(160km)を走る大会です。
県サイクリング協会主催のセンチュリーランも今年で24回目になります。
24年も前からやってたんですね?。
でも、実際秋田で最初にやった自転車レースっていつ頃なのか気になります。
私は単純に24年前かと思っていました。

しかし、以前発見したんです。ある方のブログで感動の事実を…。

その記事によると、今から107年前、明治35年9月、
秋田市で『自転車百哩大競走』という大会が行われたらしいのです。(哩=マイル)

以下、記事を引用させて頂きます。

秋田市下肴町に大島商会が創業して間もない明治三十五年(1902)の秋、大嶋勘六氏の企画により、自転車の普及宣伝を兼ねた「自転車百哩大競走」なるイベントが開催された。

秋田市を早朝に出発、本荘、浅舞、横手、六郷、大曲を経て秋田市に帰着する、延長百二十哩(マイル)約193.1 kmの走行コース。

賞品として、一着・金側懐中時計、二着・銀側懐中時計、三着・秋田八丈一反、四着から十着・木綿反物一反が用意され、参加できる自転車として、英米製の舶来自転車主要メーカーの名前が並ぶ。まだ国産自転車は性能が低く、輸入車が主流だった。

当時、自転車を所有することができるのは、資産家か地元の名士など一部の富裕層のみ。自転車がステータスシンボルであり、また贅沢な娯楽・スポーツであった時代である。

九月二十一日の大会当日、あいにくの雨模様の中、集まった参加者は九名、午前五時三十五分スタートの号砲が鳴る。

結果およびタイムは以下の通り。

一着・三森定治氏、午後三時四分着
二着・鈴木忠治氏、午後四時二十五分着
三着・小野周八氏、午後四時二十七分着
四着・伊藤徳松氏、午後五時三十五分着

その他の出場者は午後六時までの制限時間をオーバーするため、大曲で中止したという。当時の自転車の性能と乗り心地、未舗装の道路などの条件を考えると、出場したアマチュア選手にとって、相当過酷なレースだったことが想像できる。

日本で最初の自転車競走が開催されたのが明治三十年前後、これは短距離レースだったようだが、それから五年後に大島商会が開催した百哩競走は、秋田県に於けるロードレースの嚆矢であり、全国的にみても早い時期に開催された長距離レースだったのではないだろうか。

画像・記事の引用元 『二〇世紀ひみつ基地』自転車百哩大競走・大島商会主催


驚きじゃないですか!!
なんと107年前にこんなレースが行われていたのです。
記事にもある通り、当時の未舗装道や自転車の性能を考えると、
あのタイムで帰ってくるなんて考えられませんね。しかも雨の中・・・
特に由利本荘市から浅舞に抜ける本荘街道、現在の国道107号線の山越え、
今でこそ道が良くなりましたが、当時を想像するとかなり険しい道だったと思います。

そしてもう一つ驚いたことが、
当時の主催でありスタート地点の大島商会の建物が今も残っているのです。
秋田市大町6丁目(横町から長崎屋方面に来た道)に花京都という花屋さんがありますが、
そのレンガ建の建物が旧大島商会だったのです。そのままの形で残ってます。
なんと私が多くの女性に花を贈るときに注文していた花屋が大島商会だったのです(飲み屋街のそばだし)      冗談はさておき良く利用させてもらってました。(母の日ね・・・)
『二〇世紀ひみつ基地』明治の煉瓦商店・旧大島商会


上の画像はそれから7年後、明治42年に行われた自転車遠乗会の画像です。
画像引用元『二〇世紀ひみつ基地』自転車遠乗会・大島商会主催

このような自転車で約200kmも走ったなんて、変速付いてないよね。
当時の人は脚力・体力が凄かったんでしょうね。
なんかこの話を聞いてロマンを感じたのは私だけでしょうか?!

秋田にもこんな素晴らしい自転車の歴史があったんですから、
もっともっと秋田の自転車大会が盛り上がってくれたらいいですね。
明治の人達のパワーに負けないように頑張らなくては。

続きの話もありますが、次回の記事でアップします。


今回、画像や記事を使用させて頂きました
たふらんけサンのブログ『二〇世紀ひみつ基地』は秋田市の昔が沢山詰まったブログです。



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